2
高速道路系と車屋はお父さんみたいな人の会社だ。
サービスエリアのゴミ掃除は泊まり込みだからみんな彼女を連れてバイトに来ていた。
サービスエリアの公園みたいな所でセックスするためだ。
サービスエリアは上りと下り2ヶ所あり両方を掃除しなければならなくて、少し離れた一般の橋を渡って行かなければならなかった。
めんどくさかった僕らは高速を走って渡っていた。上司のおっさんに「あぶねーからメット被れ!」メット被った所でと思った。
車屋もそのお父さんみたいな人のだ。
ベンツのミッションのオーバーホールをしていた。何台やってもミッションを脱着する度に必ずネジがあまるので辞めた。
友達に金融やらないかと誘われて池袋で面接。ヤクザの面接かと思った。
面接官っぽい人はソファに横になりながらシャツのボタンはベルトの上まで開いていた。
面接官の第一声は「酒は飲める?」だった。
無事面接を通った僕は新橋店に配属になった。
そこにはポッチャリの気持ち悪い30代社長と1個上のガリガリビジュアル系がいた。
基本を覚えた僕の最初の大きな仕事はそのキモ社長の追い込みだった。
会社の金300万を使い込んだらしい。
面接官と僕と何人かでキモ社長の実家に回収に行き、キモ社長の両親から全額回収する。その後新橋店は、仲間の推薦を受けビジュアル系を抜き僕が社長に。
ビジュアル系は僕の1個上で金融歴も僕より長かった。ただ仕事はできなかった。毎日ヒゲをデスクの引き出しに植え、田んぼのようにしていたのが気持ち悪かった。社長になってからは順調で高利貸しは天職だった。月収は200万、会社の金も自由に使え、
売り上げも月2000万くらい出た。都内で高利貸しがサンドイッチマンを使ったのも、官報から自己破産者リストを名簿化したのも僕が最初だ。
当時はDMを撒いて待っていれば客が来て、10日3割〜5割で借りていった。
5万貸して10日後に7万返済、できなければ2万でジャンプ。
いわゆるゴーナナだ。
書類代やなんやかんや手数料をつけて実際貸すのは3万もない。
それなのに再来するやつもいた。
色んな客がいた
雪が降る真冬に浴衣にゲタで借りに来たお化けサムライ、
たったいまボコボコになったであろう顔面血まみれの男
10年くらい遊んだか、金融時代は楽しかった、とにかく楽しかった。金に困らない事はマジですごいと思う。
違うグループが金を貸さずに保証金詐欺を初めたせいで世間で問題視され僕ら高利貸しは衰退していった。
金融屋は10年間やっておりかなり濃厚な時間だったので改めて「金融編」を書こう。
金融屋を辞め名簿屋や、出会い系詐欺などもした。名簿屋は全くダメだった。出会い系はただのバカ探しで、片っ端からユーザー名簿に電話して未払い払え!の繰り返しだった。
こんなんで払うやつなんかいないと思っていたが実際は違った、数うちゃあたる。
中には300万とか払うバカもいた。
乗っていたベンツを売り、探偵事務所を地元に立ち上げる。
探偵とは名ばかりでトラブルをあの手この手で金に変えるいわば事件屋だ。
浮気調査、人探し、借金問題、人間関係。
チラシを、ポスティングして間もなく初めての依頼が来た。人探しだ。
電話口に依頼を聞いていると好きな女を、探して欲しいというストーカーだった。
当時の卒業アルバムは住所が載っていた為すぐ探せると思っていたがむずかった。
依頼人が電話口で「見つからないならお前を殺す」と
怒鳴りながら事務所の前を通っていった時は生きてる心地がしなかった。
事務所をたたみ
全く金が無く実家でゲーム三昧。
オンラインゲームで一年実家で無駄に過ごす。求人を見て地元のキャバクラで働く。
そこは日本人のママと嬢とフィリピン嬢もいるミックスキャバ。
3ヶ月程したらママが辞め店長に
キャバクラも天職だった。女と金どっちもいった。
ヤクザ直営の店だったが関係なかった。巧妙に盗んでいてバレてないはずなのに店のキッチンでオーナーにボコボコに。
服装がちゃんとしてないとゆう理不尽な理由で。クリスマスに。
金がある程度溜まり当時付き合っていた店のNo. 1を連れて自分で店をだす。小さなスナキャバだ。No.とは別れたがアンダー(全員17歳以下)しかいない店として地元で有名になり売れた。とにかく毎日満席だった。
毎日出勤は5.6人で、全員やった子の日もあった。ただトラブルも多かった。1週間に1度はパトカーか救急車がきていた。
スナキャバを友達に任せ、違う土地でキャバクラ、ガールズバーをだし6店舗まで増やす。水商売と金融は人生に大きな影響があったと思う。
金融関係は10年
水商売は33位から46の今でも続いている。特に金融は自分に合っていた、金が金を生む仕事はたまらなかった。
キャバクラオーナー編もそのうち書こう。